〈実験〉医薬品化学・錯体化学・無機化学
みなさんこんにちは。
普段僕がどのようにしてラボで実験しているか、どうやって設備を整えたのか疑問に思ってる人も多いはず。ほとんどがebayという海外のオークションフリマかヤフオクです。ヤフオクは魔境です。ニッチなラボグッズの掘り出し物がザクザク見つかります。なので日々ヤフオクをチェックするのが習慣になった私ですが先日良いものをゲットしました。試薬のテトラクロロ白金(Ⅱ)酸カリウム10gです。中身がちゃんと入っているこの出品物のお値段は18000円でした。気になって同じメーカーで同じ商品を見てみたら10gで80000円でした。モル計算しても4.7g相当のプラチナが含まれているので21000円です。なんとお得な買い物。そして白金化合物を手に入れたからには抗がん剤の合成をするっきゃないでしょう!シスプラチンが有名ですがこれはかなり光などに弱く不安定なので今回はカルボプラチンを作ります。が、試薬が足りないので早速お得意先の代理店さんに1,1-シクロブタンジカルボン酸を発注。5gで2900円はお財布に痛いよ…

●がんについて
「がん」と聞くと不治の病というイメージを持たれるかもしれません。確かにがんは厄介な病気です。早期発見なら悪性腫瘍を取り除けば寛解する病気で現在の医療技術はかなり進歩しています。しかし、それでも手の施しようが無く安楽死を家族が選択する辛い現実も存在します。そもそもがんとはなんなんでしょうか。がんはなんらかのストレスによって(喫煙、飲酒、化学物質etc...)、DNAの一部が傷付き欠損することでがん細胞化します。そしてこのDNAを傷付けられたゾンビ細胞は傷つけられたDNAのまま複製・コピーを始めて増殖します。ゾンビ細胞が増えて悪性腫瘍となり臓器にネガティブな効果をもたらす、これががんです。ゾンビ細胞がある程度増えると色々な臓器へ乗り移ります。いわゆる「転移」というやつです。膵臓で発生したゾンビ細胞が他臓器に転移したらその時点でステージⅣ、末期がんとなり終末治療しか選択できないのが現実です。消化器官や内分泌系のがんは自覚症状が現れにくく、肝臓は特に「暗黒の臓器」と呼ばれるほどなので検査する間にどんどん悪化したり最悪転移したりするというケースが多いです。発がん性物質を扱う現場の人たちはこまめな定期検診をすることが重要ですね。

●抗がん剤について
早期発見のがんであれば悪性患部を切除すれば大丈夫なのですが重いがん患者は化学療法、放射線治療などを行います。どちらもかなり辛い副作用があります。何故ならがん細胞を駆逐する抗がん剤や放射線には一般細胞とがん細胞を見分ける能力が無くピンポイントでがん細胞のみを破滅するのが難しいからです。化学療法に使われる医薬品のほとんどはがん細胞のDNAを化学修飾して複製や増殖を阻害します。抗がん剤にプラチナが選ばれている理由はシスプラチンやカルボプラチンといったプラチナ錯体はそのプラチナイオンが錯体を作りたい欲を利用しています。高校化学で習うイオン化傾向ではプラチナは金に次いで2番目のポテンシャルエネルギーを有します。ゆえにニートなイオンで居たくない、誰かと結合して錯体になって安定したいわけです。それを利用してこのようなプラチナ製剤を投与することによってガン細胞内の核の中のDNAを配位子とした架橋錯体を生成する、つまりはプラチナがDNAの紐に割り込んでぐちゃぐちゃの白金錯体を形成してDNAの複製を止めます。複製が止まれば細胞増殖も出来ないので抗がん作用を示すわけです。ただしプラチナにはガン細胞と一般細胞を見分ける能力がありませんからそれなりの副作用を伴いますし、薬価も高いのが現実です。プラチナ製剤に抵抗のあるがん細胞に対しては有機抗がん剤として代表的にパクリタキセルが利用されます。

パクリタキセルはタイヘイヨウイチイの樹皮から単離されますが1人のがん患者を治療するのに樹齢100年のタイヘイヨウイチイを6本伐採する必要があるため現在では半合成および全合成経路が開拓され化学合成やパクリタキセル合成遺伝子を組み込んだ細胞培養法によって製造されています。
●合成法について
今まで合成してきた錯体は金属イオンを含む水溶液に配位子をドバッと加えて結晶として単離していましたがプラチナはそう簡単にいきません。HSAB則という鎖で拘束されているからです。なのでテトラクロリド白金(Ⅱ)酸カリウムに別の配位子を付加させてから徐々に段階的に交換反応でカルボプラチンに仕立てていくわけです。1,1-シクロブタンジカルボン酸イオンとアンモニアは硬い塩基です。HSAB則は硬い酸塩基、軟らかい酸塩基同士が結合を形成するという則ですが、一方プラチナ(白金)イオンは軟らかい酸です。軟らかい白金イオンに硬い塩基配位子を入れても反応は進行しにくいでしょう。この場合軟らかい塩基配位子を取り付けておいて配位子交換反応で徐々に硬い塩基配位子に変換して行き、最終的に軟らかい白金イオンに硬いカルボン酸イオンとアンモニアを付加させます。具体的な作戦は
①テトラクロロ白金(Ⅱ)酸イオンに軟らかいヨウ化物イオンを反応させて硬い塩化物イオンを軟らかいヨウ化物イオンに交換してテトラヨード白金(Ⅱ)酸を作る。
②アンモニア水を加えて配位子の2つをアンミンに変換する。
③硝酸銀水溶液を加えて配位子の残り2つをアクアに変換する。このときヨウ化物イオンが脱離するので銀イオンにキャッチされてヨウ化銀として沈澱する。これもヨウ化物イオンと銀イオンどちらも軟らかい同士だからである。
④ヨウ化銀を濾過で除いて濾液に1,1-シクロブタンジカルボン酸と塩基として水酸化カリウムを加える。

このようにしてヨード→ヨード&アンミン→アクア&アンミン→カルボプラチン と段階を踏んで軟らかい白金イオンに硬い配位子を交換反応を駆使して配位させて錯体とします。配位子交換の立体化学は常にcisで置換が起きます。本当は錯体化学として結晶場理論や配位子場理論とか考えなきゃいけないんですけどそこまで高度な理解をする必要はないのでHSAB則で理論付けを行ってみました。超ザックリ言うと遷移金属の線形対称なd軌道の基底状態の縮退が配位子との分子軌道相互作用でエネルギー分裂することを説明する理論なのですが今回は割愛します。さて、本当はこのテトラクロロ白金(Ⅱ)酸カリウムは以前合成したヘキサクロロ白金(Ⅲ)酸カリウムをシュウ酸水素カリウムや二酸化硫黄ガスで還元することで得られますが正直もう一回プラチナを王水に溶かして…っていうのは厳しいです。現時点相場が4700円ですからね。実験するには最低3gは欲しいところなので、そこにさらに付加価値が組み込まれると20000円はするでしょう。せっかくヤフオクに試薬が超激安で落ちてたんだからそれを素直に使いましょう。金属体からの完全DIYもロマンがありますけどね。実験者の体力が…
●実験
①40℃に温めながらテトラクロロ白金(Ⅱ)酸カリウム10gに水40mLを加えて溶かし、ヨウ化カリウム16gを水20mLに溶かした水溶液を加える。色が赤色から黒色へ変化する。20分間加温撹拌する。

②続いて濃アンモニア水3.3mLを加える。10分間加温撹拌する。

③生成した黄色沈澱を濾過してメタノールで洗浄する。ジヨードジアンミン白金(Ⅱ)酸カリウムが得られた。

④ ジヨードジアンミン白金(Ⅱ)酸カリウムを水40mLに懸濁し、硝酸銀8.2gを水20mLに溶かして加える。硝酸銀は感光性があるのでアルミホイルで反応系を覆う。室温で6時間撹拌する。ジアクアジアンミン白金(Ⅱ)硝酸塩が得られる。

⑤ ヨウ化銀が懸濁したジアクアジアンミン白金(Ⅱ)硝酸塩水溶液を濾過してヨウ化銀を除く。

⑥濾液に1,1-シクロブタンジカルボン酸3.5gを加えて撹拌する。50%水酸化カリウム水溶液を少しずつ加えてpH7に調節する。

⑦溶液にショートパスを取り付けて減圧蒸留して水をある程度取り除く。

⑧黒色の液体に過剰のメタノールを加えて濾過をする。有機物の共存下での加熱水分除去では白金の還元が避けられず白金のナノコロイドが黒色分散液となって生成する。

⑨アセトニトリルで硝酸カリウムを分離し再度メタノールで濯いでカルボプラチンを収率80.47%で得た。アセトニトリルも配位子になりうるが貧溶媒として用いる分には配位子交換は起こらず副生成物の硝酸カリウムを溶かすので溶媒選択は重要である。

●おまけ
和光純薬
・カルボプラチン(生化学用)250mg/31500円
・テトラクロリド白金(Ⅱ)酸カリウム10g/80900円
・硝酸銀(Ⅰ)25g/29500円
東京化成工業
・1,1-シクロブタンジカルボン酸5g/2900円
・ヨウ化カリウム300g/4300円
・アンモニア水500mL/1800円
・水酸化カリウム500g/2200円
◎使用量からのコスト算出
※使用溶媒や使用実験器具、装置運用の電気エネルギーは無視するものとする。
・テトラクロリド白金(Ⅱ)酸カリウム80900円
・1,1-シクロブタンジカルボン酸2030円
・ヨウ化カリウム230円
・アンモニア水13円
・水酸化カリウム44円
・硝酸銀(Ⅰ)9676円
・メタノール400円
Σ 93293円
Σ'30393円(テトラクロリド白金(Ⅱ)酸カリウム10gがヤフオクで18000円のとき)
カルボプラチン収量7.2gより
∴カルボプラチン(合成)907200円
カルボプラチン450mg製剤薬価10626円
∴カルボプラチン(合成)170016円
コスト還元率
・生化学用972.42%(Σ)、2985.0%(Σ')
・抗がん剤製剤182.30%(Σ)、533.60%(Σ')
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